「だから 愛を愛を うたおう そして 愛を愛を つむごう」
ジュニア担として生きた、初めての季節が終わろうとしている。
ジャニーズを追い始めて、この春で7年目になる。でも、こんなにも駆け抜けた一月はなかった。
2017年の3月は、私にとって特別な1か月になった。
2月に担当宣言をして、すぐに初めての関西ジュニアの松竹座公演を迎えた。
毎日、19時30分には作業を終わらせるようにスケジューリングして、スマホを前にしてレポを待った。
丸々1か月、ほぼ毎日、欠かすことなく。
19時38分になるとそわそわと「(今日の日付) 松竹」で繰り返し検索をかけて。
今日のJKと幼稚園児、が分かった瞬間からツイッターで大騒ぎした。
私の3月は春松竹と共にあった。
帝劇に勝るとも劣らないコント日替わりガチャにも負けず、
検索しても出てこない推しのレポにもめげず、
観てきたものと 聴いてきたものだけを信じ、
お友達から通話で速報生レポを恵んでもらい、
一喜一憂し、
そしてやっぱりステージ上の君が好きだと思った春だった。
自分が公演に参加した日は、実は、泣きながら帰ってきていた。
…わかっていたことだった。
初日のレポを読んで、スマホを持ったまま立てなくなって泣いたときから、それでも観に行くのだと、覚悟を決めていたはずだった。
けれど、いざ自分の目で見ると、前進に納得している自分と、後退に納得できない自分がせめぎあって、気持ちがぐちゃぐちゃになっていた。
極めつけは、私が一番好きな自担が観られなかったこと。詳しくは書かない。
その日は偶然、何かあったのかもしれない。体調が悪かったのかも。
いろいろ考えたけど、考えれば考えるほど、悪い方向にばかり考えてしまって、
公演はとっても楽しかったのに、帰りの電車では強がって自棄酒飲みながらレポを起こしつつ、涙をこらえていた。
わかっていたことだったのだ。
ジュニア担になるということは、楽しい嬉しいことよりも、辛く悲しい思いをすることの方が多くなる可能性があるということは。
20年ちょっと生きてきて、自分の性格はまぁまぁ把握してきている。
だからこそ、私はジュニア担に向いていないことはわかっていた。だから、ジュニア沼にだけはハマらないと、自戒も込めてあれほど言っていたのに。
それでも好きな気持ちを抑えきれなくて、未来が観たいと思って飛び込んだんだから、自業自得でしかない。
そんなどん底の気持ちで1回きりの春松竹を終えて、このままでは終われない、どうしても、もう一目、自担を観たい、と思っていた時に流れてきたのがこの知らせだった。
「なうぇすと静岡 ジュニア曲Hair からブリュレに変更 古謝センターで踊る」
…やってくれるじゃないか、と思った。本当に嬉しかった。静岡に行くんだろうな、とは思っていたけど、まさか、まさか1万人を前にしてセンターで踊るなんて。
この知らせを聞いた瞬間から、観たかった。でも、現実的じゃないから、と、その夜は無理やり寝た。
翌朝、目覚めて、5分。
やっぱり観に行かないなんて、だめだ、そんな選択肢はない、どうしてやる前から諦めているんだ、と私の中の松岡修造が叫び、
1時間半後には、東京行きのひかりに乗っていた。
本当は大阪に行くはずだったのに。
朝食も食べずに、ペンライトとうちわを持って、家を飛び出した。無論、チケットは持っていなかった。
チケットも持たずに会場へ行くなんて、無謀すぎる、地元公演でもないのに、新幹線使ってまで、
と、冷静な私が言った。
行けるのに行かないで後悔するのなんて絶対に嫌だ、お金なんてあとからどうにでもなるけど、静岡ブリュレは今日しかないんだ
と、ジュニア担の私が言った。
結局、紆余曲折を経て、静岡19日の1部公演に参加することができた。
まさか、本当に観られるとは思っていなかった。*1
頭がおかしいと思われるのは承知で書くけれど、神様のお導きだと思ったし、私は呼ばれているんだと思った。
開演には間に合わなかったけど、ブリュレを、観られた。
ギターイントロがかかって、すぐに、センターで跳ぶ君を観た。
1番観たかった姿で、気づいたら泣きながらペンライトを振っていた。
嬉しくて、幸せで、無茶して静岡に来てよかったと、心から思った。
2日前には同じ曲を松竹座で観ながら、真逆の気持ちで泣いていたのに。
自担がセンターで踊る。
これが、ジュニア担にどれほどの価値をもつことか。
この時まで私は理解できていなかった。
なうぇすと静岡では、私の観たかった自担がずっといてくれた。
本当に、本当に幸せで、2日前の暗い気持ちは全部飛んで行った。
どうしてこの人を信じられなかったんだろう、と反省した。
1日のうちに4回新幹線に乗るというクレイジーな行動(!)も
5月のクレジット請求(!!)も
何もかもどうでもよくなる*2、
それぐらい、かけがえのない、激動の1日だった。
この先も揺るがず自担を応援できるって思えた
ステージの上で客席を観て幸せそうに踊る自担がすきだって思えた
それが、何にも代えがたかった
これで、私は春の見納めを決意できた。
こんな、前向きな気持ちで見納めを決意できたのは、幸せなことだと思う。
そして、今日、春松竹が千穐楽を迎える。
朝起きてから、ずっと頭のなかで「LOVE」が流れている。
1回しか行けなかった松竹座。1回だけ行けた松竹座。
本編ラストで、出演者全員が桜色の衣装を着て歌い上げた「LOVE」。
たった一度、聞いたきりの曲なのに、こんなにも強烈に頭の中に、映像と歌声が残っている。
「LOVE」を歌っているときの演者は、目に入った子は皆、何かを愛おしむ表情をしていた。
現実では桜の蕾はまだ固いけれど
松竹座にはこの1ヵ月、毎日桜吹雪が舞っていた。
美しく、切ない、終わりを告げる桜吹雪。
桜吹雪を名残惜しく思う気持ちが、公演最後のファンの気持ちと痛いほどリンクする。
こんなにも本編ラストにふさわしい、演出と曲を持ってくるなんて、ずるい。
泣かずにいるほうが、無理だ。
古謝那伊留さん。
貴方を好きになって、初めての春。
好きだから苦しんで、好きだからとっても幸せにしてもらいました。
嬉しいことでも、悲しいことでも、こんなにも泣いた一月は、初めてでした。
私、涙脆い性格じゃなかったはずなのに。
ありがとう、大好きです。
次はないかもしれない。
あったとしても、もしかしたら、今より厳しい状況になっているかもしれない。
そんな、脆く刹那的な世界で、私は、貴方の前進を揺ぎ無く信じています。
これからも応援させてください。