西へ、東へ、どこまでも

硝子の少年も WAになっておどって おみくじHAPPYになれば ええじゃないか!

きらいにならなくて、よかった

春松竹2018にいってきました。アンコールが終わって緞帳が下がりきった瞬間に思ったのは「楽しかった!」と、「るたこじ かっこよすぎてしんどい!」というプラスの気持ちばかりで、恐れていたような悲しみで真っ黒に塗りつぶされるような終演後にならなくて本当に嬉しかった。

自担も推しもいない松竹座に行くことは意味はあるのだろうか?と思いながらも、足を運んだ夏・冬・春。
去年の春松竹は、古謝くんはいたけれど、私は松竹座を出た瞬間に泣き出してお友達に電話で話を聞いてもらったほどの内容でした。それなりに楽しかったんだけどね、軽いトラウマ。WDとLOVEしか覚えてない。
それがあったから春の松竹座に行くのは夏冬と比べて段違いに怖かった。しかも去年はいた古謝くんは今年はいない。松竹座に古謝くんが立たなくなってから1年が経ってしまったことをいやでも実感してしまう。

きっと古謝くんのいない春松竹を見たら、古謝くんの亡霊を探して、他の子の粗探しをして、どうしてあの子はいて彼はここにいないのって泣くんじゃないかと思ってた。そうしてどんどん私は、あんなに前向きにひたむきに、それぞれで頑張ってる関西Jr.の子達を、「古謝くんが呼ばれなかった場所にいるから」という嫉妬心だけが理由できらいになっていってしまうんじゃないかって思って、行くのが怖かった。

でも実際はちがってた。
幕が開けてすぐからずーっとみんなきらきらしてて、
フロント勢も若手も、クリパからの数ヵ月でまた成長してるのがわかった。

そこにいない人のことなんて思い出させないほど目の離せない、そして笑いに溢れたショーを見せてくれた。
関西Jr.をきらいにならなくてよかった。心からほっとした。

そうして私は気づいた。

古謝くんがいるから関西Jr.が好きなんじゃなくて、
私はもうすでに「関西Jr.」というパッケージがすきなんだと気づいた。
服部良一先生メドレーとして昭和歌謡をしっくり感と共に歌えてしまったり、その場の瞬発力勝負で滑ってもウケてもみんなでなんとかうまくおさめたり、そして、歌って踊ってカッコつけて魅せてくれたり。
そうやってショーをつくりあげる「関西Jr.」という文化を好きになっていることに気づいた。
関西Jr.をきらいになることなんて、なかった。
関西Jr.をきらいになるわけなんて、なかった。

関西Jr.という、未完成のエンターテイメント集団が、すきだ。

これからも、もっと関西Jr.の公演をみたい。
純粋にそう思った。
季節ごと、ぐんぐん成長する男の子達の様子を見守って、そしてちょっぴりときめきを与えてほしい。
だからこれからも私は松竹座に足を運ぶ。例えそこに自担がいなくても。