西へ、東へ、どこまでも

硝子の少年も WAになっておどって おみくじHAPPYになれば ええじゃないか!

あの瞬間をジップロックに閉じ込めて、永久保存したい  #私の自担がマラソン走りました

 

「皆さんの応援が力になります!」という、聞き慣れたことば。

疑ってるわけじゃないけど、本当に、私の応援は彼らに届いて、力になっているのだろうか?と、いつも思っていました。

しかし、大阪マラソン2015で、私の自担・中間淳太さんは、この言葉を体現してくれました。
5年間ジャニオタをしていて、1番嬉しくて、1番感動した瞬間でした。私はこの時の彼の姿を、生涯忘れないと思います。

 

 


あの日のことを、少したりとも忘れたくはない。その思いから筆をとります。
あの日に受けた感動・嬉しさ。感じたこと、考えたこと。たくさんありすぎて、ずっと頭の中をぐるぐるとまわっていましたが、3日経ってようやく、言葉にすることができました。
少し長くなりますが、もしよろしければ、どうぞお付き合いください。


 


波乱の予感を抱えて大阪入りした、10月25日の朝。大阪マラソン2015の当日。
思っていたよりも風が冷たく、これは走る方も、応援する方も、体力勝負になるな、と感じました。

先に場所とりをしていてくれた友人に合流するため、1人乗り込んだ大阪環状線。休日の朝で空いている車内に座りながら、既に緊張し始めていました。

 


私と友人2人は、事前に「人の少なそうなところに陣取って、応援しよう」ということを決めていました。
もちろん、スタート付近とか、ゴール付近とか、そこで応援できたらな、とも思いましたが、混雑する沿道で応援するほどのガッツはありませんでした(笑)
そんな私たちが選んだ一つ目の応援地は、中間点付近。京セラドーム大阪の御膝下です。
軽い気持ちで「“なかま”点だし、空いてそうだし、ちょうどいいのでは~w」と選んだスポットでしたが、この選択が後に功を奏するとは、全く思っていませんでした。

 

実は、京セラドーム大阪を自分の目で見るのは初めてでした。大正駅から歩いて、目に入ったまんまるのフォルム。いつぞやのカウコンで、村上さんが京セラドームの被り物をしていたのを、思い出しましたw

 

 

 

時刻は9時ちょっと前。スタッフの方が規制テープを張ったり、給水所の準備をしたり、慌ただしくするなかで、そろそろスタートだね、なんて、妙に暢気に構えていました。
沿道はちらほら人がいる、といった様子で、正直、拍子抜けしました。
もっと人が詰めかけて、大変な騒ぎになっているのかと思いきや、静かにひっそりと、しかし熱い応援の心を持った人たちが、集まっていました。
冷静に考えれば、中間点付近に一般ランナーが到達するのはせいぜい10時をすぎてからなので、人が少ないのは当たり前なんですが…。
私たちの他にも、おそらくWESTの応援に来たんだろうな~という若いお嬢さん方を数組見かけました。

 


次々と通過していく、車いすランナーの方、続いて、マラソンのトップ集団の方々。
そして現れる、一般ランナーの方々。

友人がツイッター実況を検索して、「淳太くん、今○○通過したって!」と教えてくれる度、地名が近づく度、緊張の度合いは増していきました。
3人で「気持ち悪い…無理…」と言っていた矢先、その時はやってきました。

 

 


10時49分。
コースの手前の方から、今までにないざわめきと興奮の波が伝わってきて、「淳太くんが来た!」と直感的に確信めいたものを感じました。
気付いたら目の前にいた、報道用のカメラ車と、そのすぐ後ろで颯爽と走る、金髪・長身・黒タンクトップの男性。中間淳太さんでした。
大股で、一歩ずつ大地を踏みしめて進む淳太くん。地面を蹴り上げるたびに光る金髪、揺れるストレートの髪。記憶の中の姿よりも、引き締まっていた身体。
そして、進む先をまっすぐ見つめる、迷いのない瞳。
スタッフに囲まれ、周りにも一般ランナーがいるはずなのに、圧倒的に惹きつけられました。他の景色なんて目に入らなかった。
淳太くんを目に捉えた瞬間、言葉を失って、一瞬声をかけるのが遅れました。ですが次の瞬間反射的に「淳太ぁー!!!」と、力の限り連呼していました。
呼ばずにいられなかった。「がんばれ」なんて、言う暇もなく、ただただ名前を呼んでいました。呼び声に、ありったけの想いを込めて。狂ったように、「淳太!!!」と呼び続けました。普段は呼び捨てにすることなんて、ほぼないんですが(笑)
もう見えなくなる、というところで、淳太くんはちらっと振り返って、私たちのいる沿道のほうに顔を向けてくれました。そして走り去っていきました。
呼び声は聞こえていたのだと、その仕草一つで彼は教えてくれました。

 

この目で確かに淳太くんを観られたことが嬉しくて。
心の底から想いを込めて淳太くんの名前を呼べたことが嬉しくて。
颯爽を走る淳太くんの姿が、あまりにも綺麗で。
迷いなく前を向いて走る淳太くんが誇らしくて。
声援が届いていると、応えてくれたのが嬉しくて。

 

姿が見えなくなった瞬間、ずるずると座りこんでしまいました。
時間にしたら1分もなかったと思います。ですが、この時点ですでに、わざわざ始発で大阪にでてきて、応援にきて良かった、と思えるほどの、充実感に満たされていました。

 

 


10時55分。
中間点を折り返して、淳太くんが再び戻ってきました。今度も、沿道のざわめきの波で気づきました。それは単に淳太くんがいるから、というだけではなかったのです。戻ってくるのが、早かったのです。
淳太くんが来る前、他のランナーの様子をみていると、10分弱で折り返していた距離を、淳太くんはたったの6分で戻ってきました。
予想外に早い戻りに、沿道のWESTファンは皆驚いていました。

 

折り返した後なので、淳太くんは私たちのいた沿道とは反対の車線を走っていました。それでも必死に、声を張り上げて、友人と声を揃えて「淳太ぁー!」と絶叫したその時。
突然淳太くんは、ふっと笑みを浮かべ、ちらっと私たちの方を見て、加速したのです。例えるならそう、「criminal」の時のような、挑発的で、悪戯っぽい笑みを浮かべて。
目を疑いました。前を走る報道車をもすり抜け、次々とランナーを追い越していく、金髪の男性。
ペースを維持して走る集団の中で、1人だけ加速していく姿は、目立ち、沿道のスタッフ・一般応援の方のざわめきも巻き起こしました。
京セラドーム大阪前で、軽く50人抜きはしていたでしょうか。あっという間に姿は見えなくなってしまいましたが、彼は強烈すぎるインパクトを残していきました。

(この一連、中継で流れてましたか?流れてなかったならもったいなすぎる。)

 

この瞬間を、永久に記憶に留めておきたいと、これほど強く願ったことはありませんでした。
あれだけは、勘違いや自惚れなんかじゃない、と言い切れる。
彼は、私たちの声援を聞いて、そして、加速したのだと、確信しています。
そんなの勘違いだ、痛い発言すんなよ、と笑い飛ばしてくださって結構です。これは、あの場にいた人だけが共有できる感覚だと思うので。
中間点をすぎて、苦しくなってきたであろう頃に、声援を受けて加速するなんて、笑えるほどカッコつけてて、でも心底カッコよくて、これが「中間淳太」なんだなぁと悟って、涙がでました。

 

 


私のちっぽけな声援なんて、絶対に届かないと思っていました。
いつも私のことを愉しませて、笑わせて、癒して、応援してくれる彼らに、彼に、少しでも恩返しができたら。少しでも力になれたら。
そう思って、必死で淳太くんの名前を呼びました。
私たちの声が聞こえていた、という反応を返してくれただけでも、泣くほど嬉しかったのに、彼はその上、「声援が力になっている」ということを体現するかのように、あの苦しいであろう場面で加速して、魅せてくれました。

ピンポイントのファンサを貰うよりも、ほぼ最前列で舞台を観た時よりも、嬉しかったし、感動しました。

 

認知が嬉しかったわけじゃないんです。
ただただ、「応援しているよ!」という気持ちがダイレクトに彼に届いて、それが彼の行動を変えた、ということが、この上なく嬉しかったのです。
私が彼を応援することは、無駄ではないのだと、あの瞬間だけはきっと淳太くんの力になれていたのだと思えることが、幸せすぎて。
3日経ったいまでも、ぐらぐらと感情を揺さぶられています。

 

マラソンから一夜明けた後のスポーツ紙では、「20キロすぎから足が進まなくなった」(ニッカンスポーツ 2015年10月26日付)とインタビューに答えていました。
つまり、私たちの前に現れたときには、すでに足が進まなくなっていた状態だったということです。
中間淳太っていう人は、どこまで私を泣かせてくれるんでしょうね。

 

 

11時10分。
最初は淳太くんと並んで走っていた、と聞いていたのに、徐々にペースダウンしているとの実況が流れていた濱田さん。
大丈夫かな、そろそろ来るかな、とそわそわしながら、一瞬目を離した隙に、目の前に濱田くんが来ていました(笑)
てっきり濱田くんにも報道車がついていると思い込んでいたので、完全に油断していましたw
ですが、気づいた瞬間から「濱ちゃーん!」と叫ぶ、叫ぶ。
お隣の女の子たちが濱田さん担当だったようで、過熱度MAXです。
序盤は調子よさそうに走っていたと聞いていた濱田さんが、中間点付近では歩いているのを見て、自然と零れ出た「がんばれ!!!」。
苦しそうにしかめっ面をしながらも、ちらっと沿道の方をみてくれて、そのまま歩いていきました。
濵田さんが視界から去って、ふと、「あのビジュアル・陰のある雰囲気…どこかで見たことあるぞ…」と必死で脳内検索をかけて、ヒットしたのが「ハマワード」*1
前髪をあげて気合十分なところ、派手目な金メッシュ(?)、そしてなにより、目の下に影ができた、暗さをまとったお顔(実際は、ただしんどかったのだと思います)が、ハマワードでした。
かっこよかった…。

 


11時22分。
濵田さん、戻ってくるの遅いよね。やっぱりしんどいのかな、歩いてたもんね…とやきもきしていたら、徐々にせりあがってきた反対車線沿道の応援熱。
濱ちゃんが帰ってきた!と目を凝らして探したら、完全に歩いていながらも、声援に応えている濱田さんが見えました。
歩きながら、スタッフさんとカメラに向かって、何かを話してました。あ、これはドキュメンタリーとして使える場面だな、と、変に冷静に考えながら、懲りずに「濱ちゃーん!」と呼び続けていたら、
反対車線から応援していた私たちにも、ガッツポーズを見せてくれました。でも、ノールック(笑) しびれるほどカッコよかったです。

 

 

11時40分。
コースの手前からうねる様に伝わってくる興奮。神ちゃんか、遂に来たのか!と、目を皿のようにして探しました。
TVスタッフの方に囲まれて、顔をゆがめながらゆっくりと、でも走っている黒髪の男性。神山さんでした。
「神ちゃーん!!」と名前を呼びながら、ゆっくりでも走っていることに驚きと共に安心して、さらに、沿道の声援に手を振って応える余裕はあるのだとわかって、ほっとしました。
事前情報から、一番心配していた神山さんでしたが、自分のペースで、絶対に完走してやる、という意志を感じました。
「神ちゃん」と呼んでいたけれど、「神山くん」って表現の方がしっくりくる、かっこいいお姿でした。
神山くん推し*2の友人が、神ちゃんが見えなくなった瞬間、崩れ落ちて嗚咽を漏らしていたのがとても印象に残っています。

 

 

11時51分。
さてこれが最後だ、と反対車線をしっかり見つめていたら現れた神山さん。なんと、てくてく歩きながら紙コップ片手に給水していました(笑)
パリピポ名古屋初日といい、つくづく私は神山さんの給水に縁があるなーw なんて思いながらも、しっかりとお名前を呼んでいました。
少しペースを落としていたからか、行きよりも丁寧に声援に応えていました。両側の沿道に、交互に顔を向けてぺこぺことお辞儀、紙コップを持っていない方でお手振り付。
やってる仕草は可愛いのに、トータルだとカッコよくて、なんだこの人は…!と思っているうちに、お姿は見えなくなりました。

 

 

1か所目で3人の応援が終わったので、即座に次の地点へと移動。

2か所目は、コースの終盤である、住之江公園付近と決めていました。


移動した頃、既に淳太くんはその地点を過ぎていて、ゴール間近に迫っていました。
もう少し早くついていれば、淳太くんの姿が見られたかもしれない。
友人は少し申し訳なさそうに言ってくれましたが、私は不思議と、淳太くんの姿を見たいとは思っていませんでした。
京セラドーム前での鮮やかな加速が、ずっと頭から離れなくて。
ツイッター実況からは、30キロすぎからペースが落ちてきて、表情も苦しそう、声援に応える余裕もなくなっている、ということが伝わってきました。
それでも、私は「淳太くんは大丈夫だよ。絶対完走する。」と、信じて、心配すらしていませんでした。(今考えるとひどい…心配しろよ…)

 

適当な場所に陣取って、濵田さんと神山さんを待っているうちに、淳太くんがゴールした、という一報が入りました。
ゴールに喜ぶ友人を見ながら、完走おめでとう、と妙に冷静だった自分が、薄情にも思えました。
そしてすぐ考えたのが、完走タイム。
1回目の挑戦時より、15分とはいえ遅くなってしまったタイム。
3時間半きれるかも、と自信を見せていて、前よりも早くゴールする!と言っていたからこそ、悔しがっているだろうなぁ、と。
そして、育ジャニ企画のデッドラインも大幅に超えてしまったことに、責任とか、反省とか、感じているんだろうなぁ、と思って、いたたまれなくなりました。

 

 

13時59分。
弾ける笑顔で沿道に手を振る神山くんに、また精一杯「神ちゃーん!」と叫びました。
京セラドーム前よりも、明るい顔をしていて、これは時間ぎりぎりでも完走できるぞ!と確信を持ったのを覚えています。
とても、いい笑顔で、小走りで去っていきました。

 


14時5分。
沿道から、集団が移動してくるのが見えて、「これは濱田さんか…!」と身構えました。
そこに現れた、長身の男性。
少し足を引きずりながらも、ガッツポーズをしたり、「濱ちゃんらしい」あの笑顔を見せたり、彼も京セラドーム前よりも明るい顔をしていました。
もうこれが本当に最後だと、あらんかぎりの声で「濱ちゃーん!」と絶叫。私たちの体力も限界に近づいていたので、かっすかすの声でしたが(笑)
濵田さんは本当に時間との勝負だ、どうなるかわからないね、と話しながら見送りました。

 

 

 

まだ先へ行って、ゴールを見届けることもできたかもしれない。
でも、私たちは、そこでコースを離れて、応援を終わりました。

 


びっくりするぐらい、去り際はさっぱりとしていました。「おし!濱ちゃんも無事いったし、帰ろうか!」と。
私は、もう十分に、応援できたと思っていました。そして、きっと神山くんも、濵田さんも、完走できる、と信じていました。
自分にできるすべてを込めて、想いを全部込めて、声援を送ることができて、心から満足し、充実感に溢れていました。
その想いを、友人とも共有できたのが、とても嬉しかったです。

 

 

コースを抜けて、別地へ移動して、冷え切った重い身体に温かい食事を流し込んでいた時に、神山さんと濱田さんのゴールインの速報を受け取りました。
あぁ、終わったんだ。超ぎりぎりだけど、2人とも完走したんだ。
ほっとして、嬉しくて、身体中の力が抜けました。
午前8時半から続いた大阪マラソンは、午後4時前に、ようやく幕を閉じました。

 

 

 

 

 

 ここからは、マラソン後に感じたことや考えたこと。

 

ひとつめ。

今回のマラソン、実は中間淳太さんのファンを続けるかどうか、自分の中でけじめをつけようという気持ちで臨んでいました。

 

 

少し前の「浮気」云々とか、淳太くんには、ジャニオタ5年間で最も振り回されて、感情をかき乱されています。傷つくぐらいならアイドルなんて追いたくない、楽しむためにアイドルを追うんだ、というポリシーを持ってジャニオタをしている私としては、どうしてこうも振り回される人を好きになっているのだろう、と悩んでいる節がありました。

大阪マラソンに向かう時の記事で感じていた「漠然とした予感」とは、淳太くんのファンを続けるか、いっそやめるか、この目で彼を見ればその決意ができるだろう、というものです。結果、上の通りです。

そして、待ち時間の間に友人たちと話していて、私のアイドル観・担当観・そういったものが、霧が晴れたようにすっきりとして、これまでなんとなく違和感を感じていたことに、すべて筋が通ったように思いました。これについては長くなるので、また別記事にしたいと思います。

ともかく、この大阪マラソンで、私は中間淳太担当を名乗ること、迷いがなくなりました。

 

 

ふたつめ。
私は「アイドル・ジャニーズWEST」の中間淳太さん・濱田崇裕さん・神山智洋さんを応援しに、大阪へ行ったはずでした。
でも実際、そこにいたのは、「アイドル」であって、でも「ただの20代の男性」でもある、中間淳太さん・濱田崇裕さん・神山智洋さんでした。

 

 

 


フォロワーさんのお言葉を借りるなら、アイドルとして“武装”していない状態の、生身の3人が、体当たりで挑んでいる闘いが、大阪マラソン2015でした。
余裕のない表情、引きずっている足を無理やり前へと進める姿、そういった、無防備な姿は、「アイドル」として存在しているときには、見られかったと思います。
だからこそ、丸腰で、体当たりで、己の肉体と精神の限界に挑み、42.195キロという途方もない距離に挑む彼らは、力強く、頼もしく、雄々しかった。
「アイドル」として、私の中で別次元に存在していたこの3人は、あの日は「20代の男性」というリアリティを持って、私の前を走っていきました。
あの日、あの場で3人のことを見た人は、恐らく、「可愛い」という感想を抱けなかったのではないかと思います。
普段は「可愛い」と評されることが多い神山さんも、あの日は「かっこいい」としか表現できませんでした。

 

 

みっつめ。

 

 

マラソン翌日のスポーツ紙では、淳太くんは、目標タイムをきれなかったこと、前回タイムを下回ったことに、ひどく悔しがって、号泣したと書いてありました。

そして、「情けない」とか「ファンに顔向けできない」とか、仰ったそうで。

 

あの場にいたからこそ、この目で走る淳太くんを見たからこそ、言わせてほしい。

 

マラソンを走る淳太くん、本当にかっこよかったです。

私が淳太くんのことを見たのは、1分もないかもしれない。

それでも、一生忘れないだろうと確信できるほどの、感動を与えてもらいました。

 

私、この人を見つけて、好きになって、今日応援しに来て、よかったなぁ、と。

 

じわじわと胸の内に広がる幸福感が、どれだけ私の力になっているか、たぶん、淳太くんには伝わらないのでしょう。

 

上を上を向いて突き進む淳太くん。有言実行の男、と自らを評して、自分で自分のハードルを上げる人。

そういう人だから、好きになったのだと思う。

 

でも私は、記録を更新できなくても、あの日の淳太くんの走る姿が、いち中間淳太ファンとして、とても、誇らしかったです。

 

私の好きな人、こんなにかっこいいんだって。

私、こんな素敵な人のことを好きになったんだって。

惚れ直して、掴まれてしまったから、私も中間淳太ファンとしての覚悟を決めたんです。

 

 

顔向けできないなんて、思わないでほしい。といくらファンが思っても、きっと思い続けるのが淳太くん。

 

 

誰もあなたのことを責めてない。みんな笑顔で「お疲れ様!」って言ってました。

目標を達成できなかった自分をゆるせないだろう淳太くんだから、私はその過程を拾い集めて、あなたに見せてあげたい。 

淳太くんは、あの日、本当にかっこよかった。

みんなが、淳太くんの勇姿を、称えていた。

それを、素直に受け取ってくれると、いいんだけどな。

 

 

それでもきっと、負けず嫌いの淳太くんは、リベンジするんでしょうね!笑

でもまさか、「屈辱」とまで言うとは思わなかった。*3

 

 

淳太くんがリベンジするっていうなら、私、また応援に駆け付けますよ。

今後数年間は大阪マラソンの日の予定、空けておきますね。笑

お望み通り、力の限りの声援を送りに行きます。

 

 

 

 

よっつめ。

記事ではほとんど触れませんでしたが、一般ランナーのみなさんも応援にこたえてくださって、とても嬉しかったです。マラソンの沿道応援なんて、初めての体験でしたが、「がんばれー!」に笑顔やガッツポーズで応えてくれたり、「ありがとー!がんばるわー!」と返してくれたり、はたまた投げちゅーのファンサ*4をもらったり(笑)、と、はじめましての人と交流ができて、とても、楽しかったです。

マラソンって、いいなぁと思いました。今まで、沿道応援に行って何が楽しいのかさっぱりわからなかったけど、今ならわかります。良い経験をさせてもらいました。

 

 

 

改めて。

大阪マラソン2015 を終えて。

中間さん、濵田さ、神山さん。お疲れ様でした

沿道応援に駆け付けた皆さんも、何時間もケータイを握りしめてツイッター実況を追っていた皆さんも、テレビ中継に張り付いていた皆さんも。お疲れ様でした。

 

自分の気持ちを書き残したので、これでやっと皆さんの感想を読みに行くことができます。楽しみ楽しみ。

でも筆の力が足りずに、言いたいことの4割ぐらいしか表現できていないのが、心残りです。

 

 

 

 

 

 

「みんなのせいえんほどぱわーになるものはありませんでした」って言ってくれた、淳太くん。

「サイコーな奴ら」って言ってくれた、濱ちゃん。

「応援の声が聞こえなかった場所は無かった」と言ってくれた、神ちゃん。

 

言葉にしてくれて、ありがとう。力になれていたのなら、あの日寒さに震えながら待ち続けた甲斐があったというものです。

 

 

私は、記憶の中に、あの瞬間の淳太くんを、永久保存します。

そうして、苦しいときにひっぱり出してきて、淳太くんの勇姿を食べて、生きていきます。

 

 

 

 


もうすぐこのブログの記事数が100を迎えるらしいのですが、書きたい気持ちはあるのに、こんなに筆が進まなかったトピックは今回が初めてでした。

*1:神山・濱田ペアで臨んだ某ドル誌のコスプレ企画

*2:という表現が正しいかどうかは不明

*3:2015/10/28 「な・に・わ・ぶ・誌!」より

*4:私の投げちゅーバージンは、イケメンの白人男性に奪われた。