NHK「いのちのうた」から考えたこと
吉永小百合さんとの対談で、光一さんは「原爆資料館に行っても怖い」と仰っていました。
それを聞いて、あぁ、怖いと思っていいんだな、と、少し気持ちが楽になりました。
後を押されるように、この年齢になって、ようやく自分から日本の辛く哀しい過去に向き合ってみようという気持ちになり、来月、広島へ行くことを決めました。
中学生の修学旅行先が、長崎でした。
1年間かけて事前研修を行い、当然、原爆についても学び、そして現地で資料館や平和公園を訪れ、祈りました。
高校の修学旅行先が、沖縄でした。
再び1年間かけて事前研修を行い、沖縄戦についても学び、そして現地でガマやひめゆりの塔を訪れ、祈りました。
奇しくもこの修学旅行の最終日に、東日本大震災が起こりました。
バスの中のテレビで、ワンセグで、画面に映った、首都・東京の大パニックと、大津波の映像、緊迫したアナウンサーの声に、呆然としたのを今でも覚えています。
私は、この3つの体験を、事実として受け止めてはいます。
でも、実体験ではないからか、どこかフィクションのように思えてしまっている部分も、少なからずあります。
正に、光一さんの仰っていた、「これが本当に現実にあったのか…?」という状態です。
数十年前の日本、今私が「普通に」行き来しているところで、空襲があり、数えきれないほどの人が犠牲になっていたこと。
たった4年前に、東北で自分と同じ時代を生きていた、ごく普通の人々が、一瞬にして未来を奪われたこと。
事実として、知ってはいても「受けて止めきれていなかった」という状態かもしれません。
「知る」という行為は、膨大なエネルギーと覚悟を必要とする、と私は思います。
「知る」以上、最後には受け止めなければならないからです。
いいことだったときも、悪いことだったときも、全部呑みこんで、いつでも自分の中に潜んでいて、ふとした瞬間に飛び出してくる知識になってしまいます。
戦争について知るのは、正直なところ、怖いです。
でも怖いなんて拒否してはいけないと思いこんでいて、だから、知ったふりをして避けてきました。
でも今、「知らない」ことのほうが、恐ろしいのかもしれない、と思うようになりました。
知らなければ、過去をなかったことにしてしまって、そして、先人の願いや思いを踏みにじって、また同じ過ちを犯してしまうのでしょう。
「いのちのうた」の中でも、若者の間で8月6日と8月9日について正しく回答できる人が激減している、という報告がありました。
常に祈ることは、難しいかもしれない。でも、想いを馳せることもなく、先人が引き継いでくれたものを享受するだけ、というのは、失礼すぎると思いました。
たった70年前、計り知れないほどの命と血と涙の犠牲が払われて、
曽祖父母や祖父母、父母の世代の人たちが必死になって立て直してくれた日本という国。
彼らのおかげで、私は平和な暮らしの中で、今、エンターテイメントを享受している。
そのことを忘れたくはない。
KinKi Kidsが司会でなければ、私はまだ「知ること」を避け続けて、この戦争追悼特番を見ることはなかったでしょう。
ミーハーな気持ちで観ていたわけではないけど、そうやって、避けてきたものと向き合うきっかけを与えてくれたのは、間違いなくお2人です。
番組の最後に光一さんが仰ったように、背中を押してもらえました。
「痛みに寄り添う」勇気。
それをこの番組から分けてもらったように思います。
終戦の日に寄せて。(日付は変わってしましましたが…)